双天の剣 第二幕
〜Princess of Flare〜

第七章 嘘と真実と罪と罰(前編)

 「まったく…なんて無茶をするんですか」
 地面に倒れた少年に向って、アンディは文句を言いながら癒しの手を差し出した。
 「言う通りにしろと言うから付き合ったら、まさかここまでやるなんて。もう二度と、こんな無茶はやめて下さいね」
 「まったくだ」
 怒りもあらわに、クザンがうなずく。周りのメンバーも、みな一様に同じ表情をしていた。
 横たわったアシルは、青ざめた顔でただ首を振るだけ。血の気は失せて、起き上がる気力さえもない。
 「今度、断りもなくティアに手を出してみろ。次は必ず、ブッ殺す」
 「すまない……いッ!!」
 アンディが右肩に触れた途端、アシルの顔が引きつった。
 「ああ、これは…肩が外れてますね。治癒魔法の範囲外です」
 「では、私がはめてやろう。よくやっているからな」
 フォルドが立ち上がる。
 「相当痛むぞ。覚悟はいいかな?」
 疲れ切った顔でアシルがうなずくと、騎士団長は唇を引き結んで告げた。
 「司祭殿、彼をしっかり押さえておいてくれ」
 「分かりました」
 数瞬後、辺り一面に、人間のものとは思えないようなアシルの悲鳴が響き渡った。

 思わず振り返る彼女に、カリンは笑った。
 「大丈夫ですよ。確かに団長は厳しくて怖い人ですけど、ホントはすごく優しいですから」
 「そう…なの?」
 「ええ。はい、出来ました」
 ぽん、と肩を叩かれて、ティアは立ち上がった。血にまみれてしまった服を捨てて、カリンに着替えをもらったのはいいが、小柄で細身のカリンに比べて、彼女は背が高い。そこで、ラードラをつい立て代わりにして、二人で服を直していたのだ。
 裾や袖が少し短いし、胸周りもきついが、贅沢は言っていられない。ティアはそっと、ラードラの影から顔をのぞかせてみた。
 「あの」
 「ティア」
 控えめに声をかけると、すぐにクザンが気付いて振り返った。
 「もういいのか?大丈夫だったか!?」
 「ええ…怪我は、ないから」
 「…そうか」
 彼はほっと息を吐いた。そして、それ以上は何も言わず、黙ってティアを抱き寄せた。
 「………」
 妖精に耳打ちされて、見えてはいないが一応ウィーダがよそを向く。
 「一体何が…」
 「シャウラ様、ちょっと」
 一人取り残されて意味が分からないシャウラをカリンが引っ張った。
 「しかし、まだ話が」
 「いいですから。ちょっとだけ、待ってあげて下さい」
 「?」
 説明を求めても、誰も答えてくれるはずもない。
 結局、二人の長い抱擁が終わるまでの間、シャウラはずっとカリンに目隠しされていた。

 「これで、全部お話し出来ます」
 嬉しそうに、ティアは言った。
 アシルがティアを襲ったのは、全て演技だった。彼はあの時、ティアを押し倒しただけで、切りつけてはいなかった。
 自らの手首を切って血をまき散らし、あたかも自分が狂戦士化したかのように装って、彼女を殺したように見せかけたのだ。
 それと同時に、アンディが妖精たちに魔法をかけていた。二人の心には、強力な保護がかけられている。これでもう誰も、彼女たちの心を読むことは出来ない。
 ランディにも、そして、魔人将軍クランスールにも、だ。
 ティアは胸の前で手を組んで、周りを囲む人たちの顔を見た。魔人の公子という異名を持つ勇者シャウラと、盲目のガルダン王子、勇者ウィーダ。そして、二人につき従う者たち――ランディが信頼し、待ち続けている人たち。
 「本当は、アシル君の方が詳しいとは思うんですけど」
 当のアシルは、肩をはめる時の激痛に負けて、白目をむいて失神していた。重い斧を無理矢理片手で持ち上げたため、振り下ろした時に右肩が外れてしまったのだ。その上、本当にティアを切りつけられたと思って逆上したクザンから、下腹に渾身の一発をぶち込まれ、いずれにせよ、失神寸前ではあったが。
 とにかく、今はその方が都合が良かった。
 「知っての通り、暗示がかかってて、ランディ君やクランスールの事は何一つ話せません。あまりその名前を聞かせると、本当に狂戦士化してしまいますし。だから、わたしが」
 その言葉にうなずいて、シャウラは続きをうながした。
 「では、知っていることを、最初から全て聞かせてくれ」
 「はい」
 ランディとアシルから聞いた話を思い出して、ティアは話し始めた。それは、王女クプシとその一行が、イルクラチアを出発してしばらくしてから起こった出来事から始まった。

 そう――旅は万事、順調だった。その瞬間までは。
 一陣の突風が吹いた。砂が舞って、親衛隊の兵士たちの目に入った。
 当然ながら、彼らは痛みのために目を閉じる。そのわずかな間に、信じ難いことが起こった。
 獣のような咆哮を間近に聞いた彼らは、痛みをこらえてまぶたを開き、そこに一体の赤い魔物を発見する。それと同時に、代わりに小さな王女の姿が消えているの事にも気がついた。
 普通なら、その魔物が王女を襲ったのだと思うだろう。それならば、親衛隊である彼らの行う行動はたった一つしかない。兵士たちはは魔物を倒すべく一斉に武器を構えた。
 だが、その中に二人だけ、何が起こったのかを正確に把握している者がいた。親衛隊の隊長であるアシルと、忍びであるランディだけは、出発の前に女王から聞かされていたのだ。
 「必ず、あの子の側にいて、守ってやって欲しいの――あの子は、普通の人間ではないから」
 魔人、炎王ファランキオの娘なのだとマァナは言った。
 「今までは大丈夫だったけれど、最近は魔力の成長が著しいの。もしかしたら…」
 そこまで言って、母は首を振った。娘が魔人に変身してしまうかも知れないとは、さすがに言えなかったのだろう。
 しかし、目の前にいる炎の魔物は、ファランキオによく似ていた。二人には、これがクプシであると分かってしまった。
 だから、兵士たちが魔物に襲いかかった時、二人は武器を取った。理由も告げられないまま、部下たちを、一人残らず殺した。バスラム王家と、何よりもクプシを守るために。
 それが、罠だったとも知らずに。

 「落ち着きなさい、お嬢さん」
 血にまみれたその場に、唐突に現れた女はそう言って手を差し伸べた。
 「お前は…ッ!?」
 「見ての通り、魔人よ」
 背中に翼を持つ、紫の髪の女は平然と言い放ち、アシルとランディを無視して吠え猛るクプシの傍へと歩み寄った。
 「あたしの城の近くで何の騒ぎかと思ったら。このお嬢さん、あんたたちの連れ?」
 「…だったらどうした」
 「辛そうね。魔力が暴走してるわよ」
 紫色の長い爪で、炎の魔人の体にそっと触れる。クプシは苦しげに身をよじらせて、次の瞬間全身を火柱へと変えた。
 暗く曇り、重く垂れ下がった空を焦がしそうなほどの、巨大な火柱。倒れた兵士たちの亡骸を灰に変え、アシルたちの顔を熱く照らす。
 「クプシ!」
 だが、それが収まると、クプシは元の姿に戻っていた。気を失ってしまったのだろう、まぶたを閉じてぐったりとしているクプシを抱いて、魔人は言った。
 「魔力のコントロールがイマイチねぇ」
 胸に抱いた少女の頬をなでる。
 「どこへ行く途中だったの?このままじゃ、またいつ暴発するか分かんないわよ」
 そして、女は優しげに笑った。
 「ねぇ、あんたたち。あたしの城へ来ない?この子の面倒、見てあげよっか」
 アシルとランディは、互いの顔を見合わせた。
 このまま魔術師ギルドへ行くべきか、バスラムへ戻るか――それとも魔人の誘いに乗るか。選択肢は多いように見えて、実は一つしかない。
 いつ魔人になるか分からない王女を、一体どこへ連れて行けるというのだ。
 二人は、うなずくしかなかった。
 「でも、本当は」
 ティアはそこまで言って、顔を伏せた。
 「クプシちゃんの心を操って、魔人化させたのは、クランスール自身だったんです。最初から、クプシちゃんを手に入れようとして、仕組んだ事だったんですよ」
 気付いた時には遅かった。
 いつの間にか、クプシと自分たち自身を人質に取られた形になって、アシルとランディは魔人将軍の下僕とならざるを得なかった。特に、珍しい忍術を行使するランディはいたく気に入られ、卑劣な行為を何度も繰り返させられるはめになった。
 「それが…ミラノへの呪いや、お前の誘拐だというのか?」
 「そうです」
 ウィーダの問いに、彼女はうなずいた。
 「クランスールは、ウェグラーを倒したという事もあって、殿下やシャウラさんを恐れているみたいです。だから、聖槍を奪ったんです。その上、ランディ君とミラノ様が顔見知りだという事につけ込んで、呪いをかけた」
 計画は、周到に用意されていたのだろう。ファランキオの娘を手に入れ、勇者の聖槍を奪い、邪魔な天使を眠りにつかせる。
 だが、ランディも、罠にはめられて、ただでは起きなかった。
 クプシの身の回りの世話をさせるための女をさらえ、と命令された時に、わざわざクザンの恋人を選んだ。
 「何ィ!?どうしてだ!」
 目を見開いて聞き返すクザンに、ティアが少し照れくさそうに答える。
 「そうすれば、必ずあなたが助けに来てくれるって」
 異変に気付いて、誰かが助けに来てくれる事を願って。
 「そう言えば、あの時確かに」
 フォルドが初めてランディに出会った時、言われた事を思い出した。
 「あいつは、自分が殿下と知り合いである事を強調していた…そういう事だったのか」
 言葉を、姿を、時には顔をさらして、自分を追うように仕向けていたのだ。
 「チュリカちゃんが捕まってからは、クランスールの目を誤魔化すのが余計に大変になって…アシル君もわたしも、ああするしかなかった。でも」
 強い眼差しで、ティアはシャウラを、ウィーダを見た。
 「信じてください。ランディ君は、クプシちゃんを守ろうとしているだけ」
 「ああ」
 二人はうなずいた。
 全く疑っていなかった訳ではない。だが、完全に信じていなかった訳でもない。その理由が明らかになって、何も迷う必要がなくなっただけだった。
 ただ、最後に一つ疑問が残った。
 「しかし、何故クプシなんだ?」
 ウィーダが尋ねる。
 「そこまでしてあの子を手に入れて、魔人将軍に何の利益があるというんだ?」
 「わたしは…そこまでは」
 口ごもるティア。代わりに、アンディが台詞を引き継いだ。
 「でも、予想なら出来ますよ」
 いつもの笑顔が消えていた。彼は倒れたままのアシルに視線を向けたまま、答えた。
 「魔界から、魔王を召喚するんですよ」
 この地上とはまったく別の場所にある、魔物の故郷。そこの主であり、あらゆる魔物を統べる、全ての邪悪の源である。
 「天界におられる神と同じく、この地上には直接介入しないという制約があるため、普通は地上に現れることはありません。ですが、中立の立場にある人間が召喚したというのなら、話は別です」
 「そんな事が、出来るのか!?」
 「普通は無理です」
 召喚魔法は、召喚する者とされる者との力の強弱が確実に成否に反映する。術者の魔力が低ければ召喚は失敗するか、さもなくば、召喚された者が逆に術者に襲いかかることすらあり得る。
 したがって、普通の人間では、魔王を召喚することなど不可能だ。
 「でも、クプシちゃんは、確かに人間ですけど、同時にファランキオの娘でもある…半分は、魔人です。もって生まれた能力も相まって、おそらく、魔力は、並の魔人の比ではないはずです――召喚は可能だと、僕は考えます」
 全員が黙ってしまった。
 アンディの予想は、おそらく正しい。
 そしてもし、地上に魔王が現れたならば――ここは、魔界と化す。
 「行こう」
 だが、すぐにその沈黙を押し破り、シャウラが立ち上がった。
 「二人が、待っている」
 それだけ言って、歩き出す。他には何もいらなかった。


続く

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