双天の剣 第二幕
〜Princess of Flare〜

第七章 嘘と真実と罪と罰(後編)

 魔術師ギルドの総本山――その膝元にある街は、名前こそないが、ガルダンの城下に引けを取らないほどの規模を持つ。
 それと同時に、世界各地から魔術を極めようとする者が数多く集まってくる。だから、人ごみに東国の少年が一人混じっていたところで、誰も気にも留めない。
 「おっちゃん、いつものヤツくれ」
 「よう、ランディ」
 果物屋の主人は、それでも彼の顔を覚えたらしく、にかっと笑って少年を迎えた。
 「そろそろ来る頃じゃないかと思ってたから、仕入れといたぜ。シルクメロン」
 「おっ!今回のは、これまたデカいな」
 主人が差し出してくれた大きな黄色いウリを受け取り、彼は嬉しそうに微笑んだ。砂漠で育つ、甘くみずみずしいシルクメロンは、妹の好物だ。そう言って、最近よく来るようになった少年は、数日に一度は必ず顔を見せた。
 「ズッシリしてんなぁ…こりゃ美味いだろうな」
 「値段はいつも通りでいいぜ。それからコレはサービスだ」
 かごに入れた小ぶりな果物を数個、差し出す。艶やかなオレンジ色の果実は、この辺りでは見かけないものだった。
 少年の目が、見開かれた。
 「柿じゃねぇか!」
 「珍しいだろ。東国の果てから届いた逸品らしいぜ。お前の顔立ちだと、そっちの出身だろうと思ってなぁ」
 「うわ、懐かしいなぁ…なぁ、コレ、くれんのか!?」
 「もちろん」
 主人は数個の柿を紙で包み、彼に渡した。
 「じゃあな。また仕入れとくぜ」
 「ああ。サンキュ!」
 一抱えはある大きなシルクメロンと柿の包みを持ち、彼は街路へ出た。
 普通に歩いても、すれ違う人と肩がぶつかり合うほどに混みあっている市場通り。それをすり抜けて、ランディは歩き出した。途中で、大きな果物がずり落ちそうになり、立ち止まる。
 「うわ…ッ」
 「きゃっ!?」
 その途端、小柄な女性が正面から思いっきりぶつかってきた。シルクメロンは大丈夫だったが、柿の包みがほどけて、一個、石畳の上に転がり落ちた。
 「ご、ごめんなさい!」
 「いや、オレの方こそ」
 青い瞳の彼女は、あわてて落とした果物を探すために膝を折る。うまい具合に踏まれたりせず、柿は彼女の手に納まった。
 「カリン!どこにいる、はぐれるなよ!」
 その時、女性の連れらしい男の声が、雑踏から響いてきた。
 「大丈夫です、すぐ行きますぅ!」
 カリンは高い声で答えて、ランディを振り返った。二人の視線が真正面から交差する。
 だが、二人ともお互いに気が付かなかった。
 顔など見たことがないのだから、当然と言えば当然だった。視線はすぐに、落し物へと移る。
 「それじゃ、コレ」
 「いや、いい。オレも悪かったし、それやるよ」
 「え?でも」
 オレンジ色の果物を両手で持つ彼女に背を向けて、ランディはまた急ぎ足で歩き出す。
 「早く行かなきゃ、はぐれちまうぜ。じゃあな」
 「あの…っ」
 声をかけても、その背中はもう見えない。異国の果物を手に、カリンも急いで連れの後を追いかけた。

 「何をしていた?置いていくぞ」
 「すみません、人とぶつかっちゃって」
 眉を寄せるフォルドに謝って、カリンは人ごみを抜け出す。人波に巻き込まれて遅れたカリンを待つために、他の仲間たちが少し先で待っていた。さらにもう少し歩けば、宿屋の並ぶ通りがある。
 急がなければならない旅とはいえ、疲れは容赦なく襲ってくる。一晩ぐらいはきちんとしたベッドで横になる必要があった。
 「ちゃんと前を見て歩かないからだ。気をつけろ」
 「はい」
  上司に叱られて、カリンはしゅん、と肩を落とす。その手に握られている物を見つけて、フォルドがふと、不思議そうな顔をした。
 「何だ、それは?」
 「あ、コレですか」
 掌を広げて、鮮やかな朱色の果実をみなに見せた。
 「さっきぶつかった人が、くれたんです。果物みたいですけど、何でしょうね?」
 「ぶつかった人が、くれた?」
 アンディが驚いたように聞き返す。
 「ええ。背の低い男の子でしたけど」
 「髪の色は?」
 「真っ黒…きゃ!」
 カリンが言い終わる前に、アンディは彼女の両肩をきつくつかんでいた。
 「それは何時です!?どこで、彼に会いました!?」
 「そ…そこの角の、果物屋さんの前で」
 そこまで聞くと、今度は、驚くほどあっさりとカリンを放す。止める暇も与えない勢いで、彼は駆け出した。
 「お、おい、アンディ!どこ行くんだよ!?」
 クザンが叫ぶと、一瞬だけ振り返って答えた。
 「ランディです…まだきっと、近くにいる!」

 この広い街で、それもあの人ごみの中で、結局彼らはランディを見つけられなかった。
 夕刻、赤く染まる街路の片隅に、疲れた顔が集まる。
 「すみません…あの時あたしが、倭人だと気付いてれば」
 うなだれるカリンに、誰もが首を振った。
 「一度も顔を見たことがないのだから、仕方がない」
 ウィーダが言う。
 「それに、まさかこんな場所にランディが来るとは」
 「いえ、それは…分かってました」
 今度はティアがうなだれた。
 「わたしたちの食べ物は、魔物と同じという訳にはいかないから、時々買い出しに来ていたの…クプシちゃんが好きな果物があるから、ランディ君はよくそれを買って来てたわ」
 「しかし、よくそれを見ただけで、相手がランディだと分かったな?」
 少し呆れたような口調のクザンに、朱色の果物を握りしめていたアンディが答えた。
 「これは柿といって、倭国でしか採れない果物なんだそうです。絵でしか見たことはなかったんですけど…ランディの好物なんです」
 「へーぇ」
 納得したのかしていないのか、とぼけた調子で拳闘士は返事をした。ものはついでに柿を取ろうと太い腕を伸ばしたが、アンディは素早く避けて、あっという間もなくどこかへ隠してしまった。
 「いずれにせよ、彼の無事が分かっただけでも良しとしましょう。この辺りをうろついているという事は、魔王の召喚も、今日明日行われるという訳ではなさそうですし」
 フォルドの言葉に、シャウラとウィーダはうなずいた。
 「そうだな」
 「今日はゆっくり休んで…え?」
 その時、何かに引っ張られるかのように、ウィーダが振り向いた。
 彼だけではない。確かに、誰かに見られているような気配を感じて、シャウラも顔を上げた。少し向うには市場通りを行き交う人の群れ。誰も、この一団のことなど眼中にないかのように通り過ぎていく。
 だが、その中に、参ったなとでも言いたげな苦笑いを浮かべている少年がいた。
 「ランディ」
 「ったく、お前らのカンの良さには呆れるぜ」
 黒装束ではなく、顔も隠してはいなかった。カリンとぶつかった時と同じ、ラフな平服を着たランディは、雑踏を抜け出して彼らの前に立った。
 「で?オレを探してたみたいだけど、何か用か?」
 「何か用かって…お前」
 クザンがむっとしたように言い返す。
 「みんな、お前のこと心配してたんだろうが!」
 「バカバカしい」
 しかし、ランディはいかにも興味がなさそうな様子で、そっぽを向いた。
 「言っとくが、オレはお前らに心配してもらう必要なんかこれっぽっちもねぇ」
 あくまでも強気な口調で言い放ち、みなと数歩の距離を置いたまま、嘲笑うかのような笑みを浮かべる。それがふと、苦々しげな表情に変わった。
 「くだらねぇよ…心配なんてさ」
 「ランディ!」
 アンディが言う。
 「必ず…助けますから」
 「出来もしねぇこと言うんじゃねぇ」
 ランディは首を振る。そして、厳しい表情で彼らに指を突きつけた。
 「あと五日だ」
 「…!」
 「それまでに、オレたちを止めてみな。さもなきゃ、この世が滅ぶぜ」
 アンディの予想を裏付けるかのような言葉を、嘘くさい作り笑いで吐き捨てる。そして、彼は背を向けた。
 「じゃあな…待ってるぜ」
 「待て!」
 シャウラが、クザンが、手を伸ばす。
 しかし、それよりも早く、ランディが一歩を踏み出す。通り過ぎる人の波に体を預けて姿を消す。一瞬の後にはもう、どんなに辺りを見回しても、少年の姿はなかった。

 宿に戻ると、荷物が届いていた。
 宿屋の主人に手渡された細長い包みは、見覚えのある長さだった。布を解くより早く、ウィーダにはそれが何か分かった。
 「シャイニー…フェイバー」
 何もない闇の中に、この聖なる槍だけは、一点の光となってウィーダの目に映る。だが、シャウラの手からそれを受け取った彼は、少しほっとしたような、しかしどこか複雑な顔を見せた。
 「これを届けたのは…ランディだろうな」
 「ああ。私の剣もある」
 バスラム王家に伝わる聖剣も、ひとまとめに包まれていた。
 即位式典の朝、ランディが盗んでいった聖槍シャイニーフェイバーと、クプシが肌身離さずいつも持っていた聖剣ムーンシェイド。正当な使い手である彼らの手に帰った今、それらはいっそう輝きを増しているかのようだった。
 「それから、これも」
 掌に少し余るぐらいの、細長い木箱が添えてあった。蓋を開くと、柔らかな綿を敷いた上に、人形のように小さな姿が横たえられていた。
 囚われていたチュリカだった。
 姉妹たちが心配そうに、テーブルに置かれた箱に寄り添う。チュリカは固く目を閉じ、ぴくりとも動かなかったが、体は温かく、ごくかすかながら、ちゃんと呼吸もある。
 「返せるものは、全て返した…といったところか」
 小さなピンク色の頭をかわるがわるなでてやりながら、シャウラは言った。
 「あとは、クプシとランディを取り戻すだけだ」
 それで、全てが終わる。何もかも上手くいく。
 だから、今日はもう休もう。
 誰が言うともなく、辺りはほっとした雰囲気に包まれた。カリンが片付けようと荷物を包んであった布をテーブルから持ち上げる。
 その時、布の間に挟まっていた紙が一枚、ひらりと舞った。
 「あ……」
 彼女の足元に落ちた紙切れをフォルドが拾う。何かを適当に破ったようなぎざぎざの紙に、殴り書きの文字が走っている。汚い字ではあったが、その内容は簡単だった。
 まず、黒蓮香の解呪法、とあった。
 「ミッドナイトロータス…まさか、これは、ミラノの目を覚ます方法なのか?」
 フォルドの言葉に、ウィーダが続きをうながした。しかし、騎士は、次を読むのをわずかにためらった。
 その先に書いてある解呪法を読んだ、他の仲間たちも、誰も言葉を発しようとはしない。ただ、息を飲む音ばかりが聞こえて、ウィーダは焦った。
 「おい…一体、何と書いてあるんだ!?」
 早く、続きを。
 主君の命には逆らえない。フォルドは口を開いた。
 「香によって眠りについた者の目を覚ますためには、香に火を入れた者、すなわちニンジャマスターを……殺すこと」
 「何だと?」
 「最後に署名があります。ニンジャマスター、ランディと」
 ウィーダには、それ以上、何も言うことが出来なかった。もちろん、他の誰も。
 ただ、時間だけが、沈黙を無視して容赦なく過ぎていく。
 そして、長い長い静寂の後、誰かがぽつりとつぶやいた。
 「まさか…死ぬ気なのか」
 自らの犯した罪を償うために、死を願うのか。

 望まなくとも朝は来る。
 迷っていても、時は来る。
 昨日までの勢いが嘘のように、彼らは足取りも重く街を出た。


続く

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