終章 灯火
がらんとした広間に、大きな泣き声が響く。
もう何も言わない、冷たくなってしまったランディの体にとりすがって、クプシが泣く。その傍らに膝を折り、アンディは呆然と座り込む。
「どうして…どうして」
クザンの胸に顔を埋め、ティアがうめいた。
「ランディ君は、何も悪いことなんてしてないわ…なのに、どうして」
「俺のせいだ」
アシルが答える。
「本当は俺が悪いんだ!俺が」
「もういい、止めろ!」
自分を責める彼に、シャウラが珍しくいら立ったような声を出した。
「もう…済んだ事だ」
そう。泣いても喚いても、死者は戻らない。天使であるミラノにも、それは出来なかった。神が直接その手を差し伸べてくれるのでなければ、失われた命は戻らないのだ。
だが、しばらく黙りこくっていたミラノが、ふいに口を開いた。
「いえ…まだ、終わってはいません」
真剣な眼差しで、じっとクプシとアンディを見つめて言う。
「天は、ランディを見捨ててはいません――方法が、あります」
「まさか」
つぶやくように聞き返すウィーダに、彼女はうなずいて続けた。
「確実に、という訳にはいきませんし、失敗すればおそらく、大変なことになってしまうでしょう。ですが」
そっと、ランディの傍らにひざまずく。泣いていたクプシが、顔を上げた。
「ここまで条件が揃っているなんて、普通ではあり得ない」
「条件?」
「はい。死者を復活させるために必要な条件です」
そんなものが、あるのか。
人間たちに見つめられ、天使は強くうなずいた。
「一つは、死に至るほどの傷を受けた肉体を癒す力」
簡単そうに聞こえるが、それは並大抵の魔力ではかなわないことだった。完全に生命力を失った体には、生きようとする意志も、治ろうとする力もない。術者の魔力だけで、あがなわなければならないのだ。
「これは、私が出来ます」
自分の胸に手を当てて、ミラノは言った。
そして、今度はクプシに視線を向ける。
「……あたし?」
「次は、あなたにしか出来ないことよ。彼の魂を呼び戻すの」
この世に無数にいる死者の中から、たった一つの魂を。
失敗すれば、何を呼び出してしまうか分かったものではない。だが、クプシはうなずいた。
「分かった。あたし、やる」
涙でぐしゃぐしゃになっていた顔を両手でぬぐい、少女は少しかすれた声で、しかしはっきりと答えた。
「絶対に…ランディお兄ちゃんを助けてみせる」
「頼みますわね」
ミラノは優しく彼女の頭をなで、それからアンディを見た。
「それから、アンディ。最後にあなたの力が必要となるの」
「僕の…?」
まだどこか呆けたような表情のまま、彼はミラノを見上げた。
「僕には、何も」
「いいえ。あなたには、これがありますわ」
剥き出しになった左腕に、黒く凶々しく刻まれた邪神の紋章。さすがに触れるのはためらわれたのか、直前で手を引いたが、刺青を示して彼女は尋ねた。
「アンデッドスポーンという暗黒魔法、使えますわね?」
「!」
アンデッドスポーンとは、死体に偽りの魂を吹き込んで、アンデッドモンスターとして甦らせる呪文である。死者をもてあそび、魂を冒涜する最悪の禁呪。
だが、その魔法の使い方に気がついて、アンディは目を見開いた。
「まさか」
「ええ、そのまさかです」
ミラノはうなずいて、答える。
「私が癒した肉体と、クプシちゃんが召喚した魂を、あなたが繋ぎ合わせる」
卓越した力を持つ癒し手と、優秀な召喚士と、強力かつ邪悪な暗黒司祭。どんなに探しても、そう簡単に揃うものではないが、今は、確かに、三人ともここにいた。
「失敗したら、何が起こるかは分かりませんけど」
大変なモノが召喚されてしまうかもしれないし、最悪の場合、ランディがアンデッドになってしまう可能性さえある。
しかし、反対する者などいなかった。
「ウィーダ様、シャウラ様…もしもの時は、よろしくお願いします」
「ああ」
二人はうなずき、共に答えた。
「成功するように、祈っている」
純白の翼が大きく広がる。
無残にも、胸をひきちぎられた少年を両腕で抱きしめて、天使は祈る。
私があの時、彼の異変に気付いていれば、死なせることはなかったのに。
自らの命と引き換えに、私を闇から救い出してくれた。それだけではない、この地上をも守ってくれた彼を、助けたい。だから、どうか、神よ――私たちに、力を。
意識は深く、闇の底へ。
あたしの声が聞こえるなら、返事をして。
呼びかけても、聞こえてくるのは死者たちのうめく声ばかり。暗く冷たい死の淵で、たくさんの何かがもがいている。
なんて、怖くて恐ろしいところなのだろう。
クランスールに囚われてはいても、あたしはこんなに怖くはなかった。
あなたがいたから。
一秒でも早く、こんな場所から助けてあげる…だから、お願い、返事をして。声を聞かせて!
強力な魔力の気配に惹かれたのか、それとも主人を失ったせいなのかは分からないが、クランスールの城は招かれざる客でにわかに騒々しくなっていた。
「絶対に、近づけるなよ!」
低級な魔物たちが、どこからともなくぞろぞろと沸いて出る。こちらの事情などお構いなしで、どんどんランディたちの方へと向かう魔物たち。
「くそっ、まったく…どれだけ増えりゃ気が済むんだよ!?」
「いいから前見てろ!」
それを一匹ずつ片付けながら、シャウラたちはじっと待つ。
やがて、今までじっと黙って座っていたアンディが、すっくと立ち上がった。
「来た…」
低いつぶやきを漏らし、暗黒司祭が最後の魔法に取りかかる。
「あと少しだ」
シャウラが言った。
「絶対に成功させる。お前たち、手を抜くな!」
「おうっ!」
際限のない攻撃で疲れてきた体に鞭打って、彼らはまた、魔物に向かった。
必ず助けると約束した。
最初に助けてもらったのは、僕の方だから。
穏やかな司祭に拾われて助かったのは、命。だが、心はまだ冷め切っていた。そんな中、彼と出会った。
屈託のない笑顔、素直な感情。何もかもが新鮮で、心地よくて、いつか僕は――救われていた。
だから、必ず助ける。
魔力が尽きても、命に代えても、必ず約束は守る。絶対に、救ってみせる。
広間はまた、元のような静けさを取り戻していた。あれほどいた魔物たちも、潮が引くようにどこかへ消え去っていった。
休む間もなく戦わなければならなかったシャウラたちは、みなぐったりと座り込み、荒い呼吸を繰り返していた。魔力を使い果たした三人も、同じように、憔悴しきった顔をしていた。
その真ん中で一人だけ、ランディだけが静かに眠っている。
規則正しい寝息を立てて、とても穏やかな表情で。
彼の手に触れて、クプシも満足そうに目を閉じた。もう、小さな傷痕さえも見当たらない温かい体。
ランディは、戻ってきたのだ。
「あーっ、もう、頭に来る!」
だからこそ、クザンは床を殴りつけて言った。
「気持ち良さそうな顔して寝やがって…鼻つまんでやろうか、こいつ」
「まあいいじゃないか」
隣でへばっているフォルドが少し笑う。
「この世界を一人で守ってたんだ。疲れてるはずだ、ゆっくり寝かせてやれ」
「…まぁな」
それは、ここにいる自分たちだけしか知らない。誰かに告げたとしても、信じてはもらえないだろう。だが、大切な秘密を共有しているかのような、不思議な満足感があった。
そして、やがて、待ち焦がれていた瞬間がやって来る。
「……」
みんなに見つめられて、まぶたを開いた少年は不思議そうな顔をした。
「……あれ?オレ、一体」
だが、次の瞬間、飛びついてくる仲間たちに押しつぶされそうになって、ランディはいきなり怒った。
「何なんだよ!?重いだろ、降りろーッ!!」
「それでは、帰ろうか」
いつもの場所に、いつもの日々に。
ウィーダの言葉にうなずいて、それぞれが歩き出す。
完全に、今まで通りとはいかないところもある。バスラムは親衛隊を失ったし、国王不在のガルダンではまた問題が持ち上がってしまうだろう。それでも、全ては終わった。
「ねえ、シャウラお兄ちゃん」
その中で、クプシが、そっとシャウラの手を取った。
「今度は、一緒に帰って」
「……私は」
「魔人のこと、教えてほしいの」
真剣な眼差しは赤く、炎の色に染まっていた。
「お父さんのことも知りたい。ちゃんと、人間として生きていけるように」
その問いかけに、シャウラは一瞬沈黙した。だが、まわりの仲間たちの視線にうながされるように、彼は答えた。
「…分かった」
変わっていかなければならないことも、あるのだ。
「帰ろう」
廃墟となった城の扉を閉めて、帰途につく。
砂っぽい荒野の向うに、いつの間にか、朝陽が顔をのぞかせていた。