第2話 「Dining Cat」へようこそ!(前編)
「いらっしゃいませ!Dining Catへようこそ!」
ファミリーレストランの扉を開けると、可愛い制服を着たウェイトレスたちが、明るい声でお決まりの挨拶を口にした。
「いらっしゃいませ、お客様」
入り口でたたずむ和馬に、一人のウェイトレスが近づいてきた。メイド服っぽいデザインの青い制服によく映える、金髪碧眼。明らかに外国人と思しき彼女は、流暢に日本語を操って微笑んだ。
「お一人様ですか?お席にご案内いたします」
「あ、はい」
外国人だと思うと無意味に緊張してしまうのが日本人の性というやつか。和馬もその例に漏れず、少々ドキドキしながら席についた。
「ご注文はお決まりですか?」
「あ、えっとそれじゃ、これを」
これといって何かが食べたいと言う訳ではなかったので、適当にディナーセットを指して注文する。彼女はにっこりと微笑んで軽く頭を下げた。
「かしこまりました」
そこまでは、普通。だが、顔を上げた彼女は、何故か、和馬にむかってウインクした。
「それでは、しばらくお待ちを」
そして、足早に厨房へと消えていく。
………可愛かった、な。
などと思いながら、ふと、今日あったことを思い出す。
萌黄さんはともかくとして、アレックスにリリアさん――人間じゃ、ないんだよな。そう考えると、金髪の女の子にウインクされた事ぐらい、どうって事ないように思えてきた。
考えるまでもなく、あんな人間外の、異世界の住人があと三人はいるのだ。いちいち驚いてはいられない。
さて、食べた後は何をしようか。和馬はゆっくりと、ひとつ欠伸をした。
Dining Catのドアが静かに開いて、また新しい客が店に入って来た。
「いらっしゃいま……せ……」
入って来た人物を見て、ウェイターが思わず口ごもる。
それは、身長180センチを軽く越す、背の高い女だった。燃えるように赤く染めた髪が顔の右半分を覆い、その表情はうかがい知れないが、短いビスチェに包まれた胸は形良く豊満で、むき出しの腰はすらりと細い。驚くほど長い足にぴったりとしたデニムのパンツをつけた彼女は、ヒールの音を高く鳴らして客席の方へと歩き出した。
トップモデルかと見まがうばかりの抜群のスタイルに、他の客、特に男性たちの目が否が応にも惹きつけられる。しかし、一人だけ、ぼーっと窓の外を眺めていて、彼女に気付かない男がいた。
ばん!
店中の注目を浴びながら、彼女はその男の座っているテーブルに手をついた。
「え?」
彼が驚いて振り返る間もなく、彼女は向かい側の椅子に腰をかける。そして、遠慮もへったくれもなく身を乗り出して、まじまじと彼の顔を見つめた。
「あ、あの……」
青年は、遠慮がちに声をかけた。
「他の席がまだ、空いてますよ?」
「いや。ここであっている」
彼女は答えて、胸を張った。
「――須藤和馬、18歳。10月16日生まれ、天秤座のA型で、好きな食べ物は中華料理と牛肉のたたき。どうだ、あってるだろう?」
「うっ……全部あってる」
プロフィールを見事に言い当てられてしまった。となると、答えは一つ。和馬は、すぐに気を取り直してたずねた。
「という事は、あなたも萌黄さんの?」
「そう、そういう事!あ、注文!」
颯爽と片手を上げ、彼女は先程の金髪ウェイトレスを呼び止めた。
「ビールとフルーツパフェ」
変な組み合わせである。しかし、その女性は気にすることなく再び和馬の方を振り向いて、話を始めた。
「ま、占い師をやってるからな。それ位のことはすぐ分かる。それよりそろそろ、他の面子も来る頃だ」
「他の面子?」
「そう」
自信たっぷりに笑って彼女は答えた。
「和馬がこの時間、ここに来るのも分かっていたからな。他の仲間たちを呼んでおいたのさ。色々と話があるからね」
その時ドアが開いて、ウェイトレスたちが一斉にまた、いらっしゃいませを繰り返した。
現れたのはサングラスをかけたアレックスともう一人、小柄な男性だった。男性、というより、見た目は中学生ぐらいの男の子といった感じだが、一応カッターシャツにネクタイを締めている。
彼が隣りに座ると、赤毛の女性は遅いとぼやいた。
「ごめんごめん。これでも途中で抜けて来たんだ」
手には書類がたくさん入っている様子の分厚い封筒を抱えていた。
「三十分ぐらいしかいられないから、手早く頼むよ、アレックス」
「分かってる」
かすかにうなずきながら、アレックスが和馬の隣りに座る。
「今、集まってもらったのは他でもない。お前たちをカズマに紹介してモエのことを……」
「ハイ、これ」
しかし、言ってる端から少年っぽい青年はアレックスを無視して、名刺を取り出し和馬に渡した。
「あ、どうも」
受け取ってのぞき込むと、修光ゼミナール講師、加納晴人とあった。
「へぇ、塾の先生なんだ……?」
「おい、カズマ」
感心する和馬に、アレックスが驚いたように声をかける。
「お前、全然驚いていないようだが、こいつらが何者か分かっているのか?」
「アレックスと同じなんだろ?リリアさんから聞いてるよ」
晴人の名刺をしまいつつ、和馬はいたって普通に答えた。ビックリしていたらキリがないのだ。そんな彼の様子に納得したのか、アレックスはうなずいて話をする事にした。
「それなら早速、こいつらのことを紹介させてもらおう」
まずは、赤い髪の背の高い女性を示す。
「そっちの大女はリサリサ・モナハン」
「アレックス!」
途端に、彼女が怒った。
「大女は余計だ!それに、わたしの事は、リサと呼べと言ってあるだろう!」
「まあそう怒るな」
あっさりと返して、今度は小柄な青年を指した。
「そっちの小さいの、名刺に書いてあるのは当たり前だが仮名だ。本名はゲルハルト・カールスルーエ」
「……小さいってのは余計だよ、アレックス」
晴人も、リサほどではないが、怒った様子を見せた。
「これでも、一応26歳って設定にしてるんだからね」
まったくもう、とつぶやく晴人を無視して、アレックスは話を続けた。
「それで、話というのは他でもない、モエのことだ」
サングラスに隠されて、表情はうかがい知れない。しかし、その声は低く、真剣だった。
「隣りに引っ越して来た、というだけで、これだけのことを頼むのは、非常に迷惑な事だとは思う。だが、我々にはもう……あまり時間がない。だから、無理を承知で頼む」
悪魔ともあろう存在が、わずかではあるが、頭を下げた。
「モエと、我々を救ってほしい」
「す……救う?」
それを目の前に、和馬は面食らう。
「俺が、みんなを?」
「そうだ」
「でも、一体どうやって?俺は、ごく普通の、ただの人間だよ?」
彼らと違って、魔力もなければ魔法も使えない。体力や腕力だって劣るだろう。それなのに、一体何をどうしろと言うのだろう?
「いや、それでいい」
アレックスはうなずいて答えた。
「我々はいつか、向うへ帰らなければならない。きちんとモエを支えてやれるのは、やはりこっちの世界の人間でなければだめだ……ユウイチと同じでなければ」
「ユウイチ……それって、もしかして」
「そう」
沈んだ声で、悪魔は肯定した。
「モエの夫――いや、だった、と言う方が正しいのかも知れん」
太陽はすでに沈んで久しい。
青い夜の闇で静かに満たされていく部屋の中、彼女は一人、カーペットの上に座り込んでいた。手に持っているのは、額に入れられた一枚の写真。
真っ白いウェディングドレスとタキシードに身を包んだ、とても幸せそうな、自分と夫の写真。
たった一枚だけ残された、祐一の笑顔。
石になってしまったかのようにただじっと、彼女はそれを見つめて動かなかった。闇が深く濃く、彼女を包み込んでしまっても、見えないものを見るかのように、ただうつむく。
どれぐらいの時間が経ったのだろう。暗闇の中で、空気が動いた。
ぐぅ〜……きゅるるるる。
「!」
辺りが静まり返っていた分だけ、お腹が鳴った音が非常に大きく響き渡って、誰もいないのに萌黄は顔を赤らめた。そして、ふと我に返ったように部屋の電気を点け、時計を見た。もう7時を回っていた。
「うわっ、もうこんな時間?」
お腹も減るはずだ。お昼ご飯にはショートケーキ一つしか食べなかったのだから。彼女は振り返って、同居人を呼んだ。
「アレックスー!」
だが、返事はない。そういえば、昼過ぎに急なバイトが入ったとか言って、呼び出されて出ていったのを忘れていた。
「しょうがないなー、もう」
萌黄は手に持っていた写真立てをいつも通りの棚の上に置いて、にっこりと微笑みかけた。
「それじゃ、ちょっと買物に行ってくるから。待っててね、祐一」
「――二人は、もともとは高校の同級生だった。付き合い始めたのは、我々がこちらへ来た少し後の事だ」
アレックスは、静かな口調で中河祐一のことを話し始めた。
「何でも、我々に囲まれているモエを見て、不良なる悪漢どもにからまれていると思ったそうだ。この国の人間は髪が黒いのが普通だからな、金髪や赤毛は異様に見えたのだろう」
見たこともない変な連中に囲まれているクラスメートを助けようと、青年はやみくもに突っ込んで来た。召喚者である萌黄を守るのが役目の魔物たちと、当然のことながら喧嘩になる。しかし、圧倒的な力の差にも、彼はひるまなかった。
そして誤解が解けると、彼は異世界からの住人をあっさりと理解し、受け入れた。そんな彼に萌黄も心を許し、やがて二人は付き合うようになる。
「紆余曲折は多少あったが、とにかく二人は結婚した。ここまでは、良かったのだがな」
ふと、悪魔の表情が沈んだ。
「そこまでは、良かった?」
見回すと、三人とも視線を合わせないまま、うつむいた。
「何が……あった?」
「これを」
和馬が尋ねると、晴人がうつむき加減のまま、手にしていた封筒を取り出した。中から取り出されたのは、数枚の紙束。それを和馬に差し出して、彼は言った。
「四年ほど前の新聞のコピーだ。読んでみてよ」
「四年前?」
その頃は、まだ和馬は中学生だった。新聞に載るようなニュースでも、あまり覚えていない。しかし、とにかく彼はコピーを受け取り、目を通した。
真っ先に飛び込んで来たのは、航空機爆発炎上、というタイトルだった。
日本発、アメリカ行きの飛行機が、空中で突然爆発し、炎上した。
その原因は不明。乗客、乗員の全ての安否も、不明。
そしてすぐに、彼らの生存は絶望的、という文字が取って代わる。
「まさか……これは」
「そうだ」
和馬のつぶやきに、アレックスがうなずいた。
片仮名でびっしりと書きこまれた乗客の名簿に目を通す。
頭の中に、昼間聞いた萌黄の台詞が思い出された。
……今は、アメリカに出張中で、帰って来ないから。
あの寂しそうな――否、凍りついた顔は。
「もしかして、旦那さんは」
「そうだ」
そして、見つけた。見つけてしまった。
ナカガワ・ユウイチの名前を。
「じゃあ……それじゃあ、萌黄さんは」
「そうだ」